進行形 5
「おまたせしました。ライス、ミックスフライとハンバーグのセットに、デミグラスソースのオムライスと温野菜のサラダでございます。ご注文は以上でよろしいでしょうか」
ウエイトレスがすらすらと定型の確認をすると、東北新幹線は無言で、長野新幹線は「はい」と声にだしてうなずいた。水曜の夜はチェーンのファミレスで食事だ。
両手をあわせるだけの「いただきます」をすると、それぞれに食べはじめる。
オムライスがとろっとしておいしい、先輩の海老フライがサク、サクとはじける音が小気味いいと長野は思う。ちらと見ると、東北はにこにこしてパクついている。こんな東北はなんども見たが、尊敬する先輩の、仕事中とのギャップに長野はそのつど驚いてしまう。ふだんは謹厳な東北だが、根はごく素直なのだ。
サラダの根菜を味わっていると、東北がもの言いたげに長野を見つめてきた。
「先輩? オムライス、ひとくち召し上がりますか」
東北は、フライもハンバーグも好きだが、オムライスも大好きだ。
「いや、オムライスは、ケチャップのかかったのがいい」
「そうですか」
じゃあ、なんだろうと首をかしげていると
「サラダのにんじんを食べてやろうか」
真顔で、意外なことを言い出した。
「え?」
「にんじん、嫌いだろう」
それはずいぶん昔の話だ。
「いえ、大丈夫です。これ、おいしいです、よ…」
長野はとまどって、語尾がぼやけた。
「ならいいが。では」
東北はナイフとフォークを持ったまま、さらに言う。
「じつは今、ソーイングセットを、たまたま持っているのだが。ボタンは取れていないか」
「え、はい。別に」
「つくろいものはないか」
「はい。その…すこしなら、自分でできますし」
唐突に、しかも食事中に、このひとはなにを言いだすのだろうと長野は東北を凝視する。
「そうか」
表情がないので、わけがわからない。上越新幹線なら東北の真意が読めるのかもしれないが、長野にはお手上げだった。東北が食事を再開したので、長野もスプーンを口に運ぶ。東北はたぶん怒ってはいないが、先ほどまでのにこにこと明るい雰囲気はない。ファミレスのわかりやすい味付けは変わらないが、長野の舌はきみょうに鈍くなってしまっていた。
(そういえば、意外性のあるひとなんだなあ)
食べながら、目のまえの先輩について考える。東海道新幹線とおなじく、幼いころから面倒を見てくれた高速鉄道。自分が所属する東日本の、鉄道の筆頭。とびきり有能なひとだ。けれども、ひそかにお子様ランチにあこがれていたり、上越にいじられていたり、空気を読めなかったりするアンバランスなところがある。社会人の処世として言葉を択ぶことや、かけひきなども苦手そうだ。こんなにできるひとなのに。
鉄道はおおむね仕事第一で、使えるスキルを持っている。そうでなければやっていかれないのは長野でさえ身に沁みて知っている。なかでも高速鉄道は優秀なものがそろっている。自分を含めて、その自負はある。
しかしそのなかでも、東海道新幹線と山陽新幹線、東北新幹線の能力は群を抜いていると、長野なりに客観的に判断しているつもりだった。九州新幹線を長野はよく知らないが、おそらく彼も有能ななかでも、さらに図抜けた存在なのではないかと想像している。共通するのは、名実ともにJRの各グループを束ねるトップだということだ。在来線には詳しくないが、少なくとも東海道本線にも、同種の力を長野は感じる。
(大先輩がいっぱいいる。きっと日本じゅう、ぼくの知らない津々浦々に)
考えながらも、食事は順調に進んでいく。無意識に手が動き、水を飲む。
(ぼくは上官なんていわれてるけど、部下や私鉄のひとたちや、人間の職員さんから、まだまだ学ぶべきことがあるんだろうな。でも、弱気になっちゃダメだ。どんなに未熟でも新幹線として立派にやっていかなきゃいけないんだ)
まずは上官としての自覚を持つこと、それにふさわしい言動をすること。それが狭くて特殊な鉄道という社会の、秩序を維持するために必要なのだと、はえぬきの高速鉄道である長野はたたきこまれてきた。
(さっきの質問、ぼくにはよくわからないけど、きっと先輩には深い考えがあってのことなんだろうな。いつか、わかるようになりたいな)
自分の未熟さをあらためて自覚した長野は、皿が空っぽになるころには謙虚にそう結論づけた。
宿舎に帰ると、東北は長野に自室の前までつきあわせた。高速鉄道どうし同じフロアにあるのですぐそこだが、めずらしいことだった。省エネで電灯を間引いた廊下を歩きながら、東北は言った。
「おれの部屋と、長野の部屋は近いな」
「そうですね」
「もし、長野がおねしょしたら、いつでも、おれの部屋に来ていいぞ」
「は!? なんの冗談ですか、先輩。もうしませんよ。赤ちゃんじゃないんですよ」
長野は笑ったが、東北はがっくりと、幅広の肩を落とした。
「上越の言ったとおりだ。おれは、何もしないほうがいいのか」
暗い声音に、長野があわてて東北を見上げる。
「おれが良かれと思うことで、よろこばれることはめったにないのだな。一所懸命、考えたのだが……」
「なんのことですか、なにを考えてくださったんですか。ぼく、聞きたいです。嬉しいです、先輩」
「聞きたいか」
東北は真剣だ。
「はい」
長野の目も真面目になる。
「東海道は、長野のお父さんのような存在だったかと思うが」
そうだ、このひともぼくを心配してくれていたのだったと、ようやく長野は思い出す。じわりと、感謝が満ちてくる。
「おれは、東日本のお父さんと呼ばれているのだそうだ。だから、その…さみしかったら、おれでよければ抱っこでも肩車でもしてやるぞ」
満ちてきた感謝が霧散した。いや、感謝は感謝であるのだが、自分の正直なリアクションを制止するのでいっぱいで、それどころではなくなった。
(ふきだしちゃいけない、笑っちゃダメだ、それだけは。先輩を傷つけてしまう。でも)
おかしくてたまらない、かわいく見えてたまらない。
(一所懸命考えて、これか。尊敬する先輩、東日本のリーダーが)
エビフライを食べる笑顔を思い出す。うその下手な、素直なひとだった。長野のことも、大真面目で考えてくれたのだろうと思われて切なくなる。
そして、同時に気づく。もう長野は、抱っこをしてもらいたい子どもじゃない。
東海道にも、特にしてほしくない。
子どもじゃないのだ。
長野はせいいっぱいの理性でおだやかな笑顔をつくり、うれしいです、ありがとうございますと告げた。
その応えに気をよくした東北は、ちょっと待っていろと、いそいそと部屋からクリーニング済みの洋服を持ってきた。
「制服だ、おれのお下がりだが。いつ、背が伸びてもおかしくない。オーダーメイドには数日かかるだろう。大は小をかねるから、それまでのつなぎに持っておけ」
長野は一瞬、声がでなかった。唇がかすかにふるえていた。それから目をふせて礼を言う。
「ありがとう、ございます。助かります」
役に立つならよかったと、東北は笑った。
長野は自室にかえって、東北が持たせてくれた制服をクロゼットにかけた。大きい。遠からず、自分がこんなに大きくなるのかと思う。
そのとなりにかけてある別の制服を取り出す。東北のお下がりよりだいぶ小さく、しかし今の自分には、まだすこし大きすぎるものだ。
(東北先輩から制服をいただきました、東海道先輩)
こころの中で語りかける。手に持った制服を見つめて。
(これは、あなたから、いただいたんでしたね。ずいぶん前に)
どちらも、大事にしますとクロゼットにもどす。
バスタブに湯を張り、換気をする。胸がざわめいているけれども、やがて朝は来る。ひとりの部屋で、すべきことをして、長野は眠る。明日のために。
でも基本的に雑食、無節操ですのでご注意ください。
鉄分のない駄文ですが、よろしければ覗いていってください。