進行形 1
北陸新幹線の開業をいちばん楽しみにしていたのは誰だろう。
もちろん地元の乗客や自治体であったのだろうけど、実は直接の利害関係がなく、所属する会社さえ違う東海道新幹線ではなかったかと、山形新幹線は見ていた。
それほどに、東海道は愛情深く、熱心に小さな新幹線の教育にあたった。
いまは昔、東北新幹線とともに建設中の北陸新幹線を視察に行った彼は、興奮して報告したものだ。
「小さいが、間違いない。あの子どもだ、逸材だ」
その日から、勤勉なBTはプライベートの時間を削って新たな勉強を始めた。
ざっと二十年も前のことだ。
「『貴様とは収益を分け合う関係上、これ以上の付き合いは避けたい』と言われてしまいました…東海道先輩に…」
本気の表情でした、と長野新幹線は消沈した。
東北新幹線は、獅子は我が子を谷に突き落とすものだと言ってくれた。
上越新幹線は、これからは僕がお父さんになってあげようと冗談めかして慰めてくれた。
唐突ではあったが、自分を北陸新幹線として一人前に扱うという東海道新幹線の意思表示であり、成長を認めてくれたのだとは長野にもわかった。
また、東北や上越からフォローしてもらったので、長野はそれを有難く思うことにして平静に業務をこなしていた。
けれども、宣言どおり東海道は必要以上の接触をしてこなくなった。
すれ違いぎわに笑顔を見せることも、頭をくしゃりと掴んでくることもなくなった。週に一、二度はいっしょに食べていた夕食も誘われなくなった。業務中も休憩中も、特に冷たくされるわけではないが、いやおうなく隔てを感じないわけにはいかなかった。
これが社会人の距離なのかな。
これが大人っていうことなのかな。
自分にそう言いきかせながら、けんめいに日を送る。初めてのことで、長野にはそれしかできなかった。三日たち、五日たつころには、その笑顔が硬質な、寂しげなものになっていることに、長野以外のだれもが気づくようになった。それでも長野は笑ったし、話したし、仕事も生活もきちんとこなしていた。
耐えられなかったのは、周囲のほうだ。
「ねえっ、最近だれか、長野とご飯食べてる?」
長野と東海道がいないのを見計らい、上官室で口を切ったのは秋田新幹線だった。眉をよせて、明らかに苛立った口調で。
とっさにだれも答えられない。
長野が新幹線として配属されてから十年ほどは、たがいに予定を話し合い、調整して、できるだけ誰かが長野と夕食を共にするようにしていた。新幹線たちが忙しすぎる時期は夕食の世話と宿舎への見送りを在来線に頼んだこともある。思えば、子どもを一人にするのはよくないと、それを提案したのは東海道だった。
しかし、ここ数年は予定があえばいっしょに食べるのが普通になっていた。長野が成長したということだ。
「いや、最近は、ないな」
「うん。ぼくも今週はないかな」
東北と上越が答える。
「おれ、おととい長野とラーメン食ったよ。山手線に教わった屋台の。東京ラーメンもうまいねえ」
山陽新幹線がへらりと笑うと、秋田が
「長野、どうだった」
真剣な顔でたずねる。
「えー…、おいしいですねって、たいらげてたよ」
「そうじゃなくて! なにか愚痴とか相談ごととか、そういうの!」
山陽は、いっとき目を眇めて秋田を見る。
「とくに何も。おとといは、普通に食べて宿舎に戻ったよ」
そっか、と秋田が肩を落とす。無言、無表情の山形新幹線を見やって、ため息をついた。
「ぼくもここんとこ、地元が多かったからさあ。三日ぶりに帰ってきたら、長野の顔が違うんだもん、びっくりしちゃったよ」
「たしかに。強張ってるっていうか、無理してるっていうか…がんばって笑っているな」
東北がうなずく。余分な情報はあえて入れないようにしている彼にしては、よく見ていたといえるだろう。
「青春だね、成長期だよ。あーあ、伸びしろがあっていいよなあ」
揶揄とも本音ともつかない茶々を、上越がいれる。
「上越は、長野が心配じゃないの。いきなり東海道に突き放されて、かわいそうじゃない!」
「長野は、かわいそうなんかじゃないよ」
上越に、一瞬だけするどく返されて、秋田は言葉をかえる。
「…言葉のあやだよ。でも、まだ大人じゃないし、東海道のやり方は極端だよ、突然すぎるよ。ぼくたちだけでも、長野をかわいがってやろうよ」
「東海道は、長野を大事にしてるべ」
初めて山形が口をひらく。のんびりした方言は、けっして秋田を責めてはいないが。
「そうだけど…それもわかるけど」
秋田の胸が詰まる。
ぽんぽんと、その頭をたたいたのは山陽だ。おだんごの髪がやさしくはねる。
「秋田は、なんかしてやりたいんだよな、長野に。東海道の気持ちもわかるから、東海道にやり方を変えろとは言えないんだろ」
「実はおれも、同じなのだが」
東北が口をはさんだ。
「北陸は、そんなやわなタマじゃないよ」
上越は冷静な声だ。
「わかっている。心配も要らないかもしれん。しかしここ数日、なにかしてやりたいとは思っていたのだ」
「でも、何していいかわかんなくて、ほっといたんだよね」
そうでしょ? と、上目づかいに上越が笑う。東北がこっくりとうなずく。
「まあぼくも、なにかしてやってもいいけど。してやれることがあるなんて思うのは、おこがましいかもしれないよねえ」
「素直じゃないな、長野がかわいいと一言ですむだろう、上越」
「やめてよ東北、ぼくの言葉をどう変換したらそうなるのさ」
「ちがうのか」
東北の疑問に上越は目をそらし、知らんぷりを決めこんだ。
なんとももいえない空気が流れる。
「いっしょにいればええべ」
それぞれに長野を思うきもちをまとめたのは山形だった。
「してやるも何もねえ。みんな長野が好きなんだで、時間をあわせておんなじとこで仕事したり飯ば食ったり、できる範囲でいっしょにいればええべ」
ほっと、その場の雰囲気がなごんだ。
東北は、それでも何かしてやれることはないかと、ぶつぶつと呟き、上越に、きみは何もしないほうがいいよと言われている。
「そうだなあ、長野がほんとに大人になっちゃったら、おれたちに付き合ってくれなくなるかもしれないし。センパイセンパイ言われるのも、今のうちかもな」
「じゃあまずは夕食、長野と食べようよ。やっぱり、コミュニケーションはご飯だよ、ご飯!」
軽口をたたく山陽と、活気づく秋田。
「それじゃあ、来週の火曜日はおれがもらうべ。こっちどまりで、東海道もおらんでな」
「え、じゃあぼくは…、わ、また三日も秋田だよ、早くて木曜日か…」
「そもそも長野の予定をきかないと駄目だろう」
「ああもう、うるさい、親バカばっかり」
「とかいって、その手に持ってるスケジュール表はなんだい」
「…うるっさいよ、ホントーに」
その日のうちに、見守っていた先輩たち、つまり東海道以外の新幹線は、それぞれに予定を調整して長野と夕食の約束をとりつけた。
結局、みんな長野がかわいくて、仕方がなかったのだ。でも基本的に雑食、無節操ですのでご注意ください。
鉄分のない駄文ですが、よろしければ覗いていってください。