景色
ゴールデンウィークも無事に終わり、もうすぐ昼休みになろうかという穏やかな初夏のある日。
「最近、目がおかしいのだ」
見栄と虚勢の塊のような東海道新幹線がそんなことを言い出して、上官室にいた仲間に緊張が走った。
山陽新幹線は東海道に駆けよって
「どこがどんな風に悪いんだ、見せてみろ」
とのぞきこみ、東北新幹線は産業医に電話をかけようとし、上越新幹線はその東北を
「まだ早いよ、待てよ」
と抑えていた。
最近仲間に加わった、現在は開業前で研修中の山形新幹線だけはこの場にいなかったが、ともかく三人ともが東海道を心配した。
東海道は宙を見て、
「きれいなのだ」
とつぶやいた。
一瞬、だれも訳がわからなかった。
東海道はつづける。
「おなじものなのに、前よりきれいに見えるのだ」
「なにがだ、東海道」
えらそうな口調はたしかに東海道のそれだが、どこかぼんやりした様子に違和感を感じたのは上越で、相棒として質問をしたのは山陽だ。
「葉っぱとか、空とかだ」
「…は?」
東北が、まだ受話器を握ったまま間の抜けた声を出した。
「葉っぱの緑とか、木漏れ日とか、車窓から見る夕焼けとか、こんなにきれいなものだったかと驚いてしまうのだ。いや、たしかに以前は、こんなには美しくなかったと記憶している。だから、絶対におかしいのだ」
東海道が力説する。ぱっと見には理性的に見えるが、どうも違うようだと山陽と上越にはわかってきた。
「ええっと、東海道ちゃん? じゃあ、目、っていうか視覚や視力に問題があるわけではないんだね?」
「だから、見え方が異常なのだと言っているだろう、なにを聞いているのだ、きさまは」
「うん、突っ込みも元気そうで山陽さん安心したよ。目が痛いとか見えないとかではないみたいだな。なあ、前よりきれいに見えて、なにか困ってることはあるか」
「困ってること……困ってること……いや、特には」
ここにきて、なんだ、と東北がようやく緊張を解いて受話器を置く。心配して損した、いや、よかったと山陽の肩が落ち、上越が目を細めてたずねる。
「ねえ、それっていつごろから?」
「そうだな、うむ、ここ一ヶ月ほどかな」
「で、原因に心当たりは」
「ない。特に何も」
やけにきっぱりと言い切る東海道に、三人の仲間は頭を抱える。本人に心当たりがないのでは周囲にはさらに見当がつかない。
なんともいえない沈黙が流れる。
そこに、東海道の携帯電話が鳴った。東海道新幹線だ、と反射的に業務モードに戻って電話に出た東海道を、いきおい仲間たちが見つめる。
「おお、山形か、どうした!」
その瞬間に輝いた東海道の表情に、三人は目をむいた。
光がさす、花がひらく、それこそ白黒の絵がみずみずしく色づくような変化だった。
東北は、わけがわからないまま赤面した。
上越は、うわぁ、と声にならない叫びをあげた。
山陽は、見たくないものを見てしまったと胸をおさえた。
「うむ、わかった。いや、大丈夫だ。すぐに出る。では」
ピ、と電話を切ると
「山形のヘルプで運輸所に行ってくる。昼休みが終わるまでには戻る」
きびきびと動き出した。こころなしか足取りが軽いように見えるのに、山陽は嫌な予感が現実味を帯びてくるのを感じた。
「どうして、東日本の俺たちではなくて東海道に電話がくるんだ?」
東北が東日本のリーダーとしてもっともな質問をする。東海道はめずらしく笑顔で答える。
「公的に質問するほどのことではないのかもしれないな。山形には、どんな些細なことでも訊いていいといってあるから、わたしが頼みやすかったのではないだろうか」
東北は狐につままれたような顔になった。
「へえ。山形が来てたった一ヶ月で、きみたちがそんなに信頼関係を築いているなんて、まったく全然ちっとも知らなかったよ」
上越は抑揚のない声で返し、
「っていうか、山形って、山形って……」
山陽は絶句し、そこから先を考えることを放棄した。
いそいそと出かけようとする東海道を引きとめたのは上越だった。
「東海道、もう一度きくけど、その目の変化の原因に心当たりは」
「まったくない」
「そう。あのね」
上越は、いつくしむような声で諭した。
「それはたしかに不思議かもしれないけどね、医者にもだれにも治せないから、観念するしかないよ」
それには山陽も同意した。相棒には安定していてほしい。
「そうだな、そのうち慣れるだろうし、悪いものではないんだろ?」
「そうか。そうだな。不思議なこともあるものだな」
「とりあえず、今は山形の開業を成功させようね。初の新在直通、ミニ新幹線なんだから」
「みんなで盛りたてていこうぜ」
「そうだな、大事なときだな」
上越と山陽の気配りに、東海道は素直にうなずいた。良くも悪くもまっすぐな男である。
「うむ。そして今後も、計画中の高速鉄道を実現させていかねばな。よし、では運輸所に行ってくるぞ。お前たちもサボってないで働きたまえ、では!」
そして、びしっと指をさして意気揚々と出て行った。山形新幹線のところへ。
「サボってないで、って、自分から話をふってきたくせに…」
東海道の姿が見えなくなってしまうと、上越の口からため息がこぼれた。
「まあそれが、東海道の東海道たるゆえんなのよ。山陽さんはもう慣れたよ」
「でも、あれだよね。ここ一ヶ月ってことは、やっぱ」
「それに、さっきの東海道、見てると」
上越と山陽はたがいにうなずく。
「山形が来たことしか、ないよな、変化って」
「つまり、やっぱり、そういうこと? そうなの?」
「知らないよ、そこまでは。でもほかにファクターがない…ってか、長いつきあいだけどあんな東海道、見たことないよ」
「そもそもっ、なんで東海道わかんないの、自分のことなのに。あのひと、ぼくや東北と違って年寄りなんでしょ? 山陽と同じで、ながーい人生経験があるはずでしょ?」
「ううん…でも、たしかに、あいつ潔癖ってか、微妙な感情の入る余地がなかったっていうか…うん、おれあいつと色っぽい話はしたことがないかも。…あれ? 今、おれのことも年寄りって言いましたか上越くん?」
「いやいやぁ、そんなことより山陽にいさん、今日は東海道と山形は、いっしょにお昼を食べるのかなあ」
「話が見えないが、東海道の目は病気ではないんだな」
あくまでも真面目に確認するのは東北である。返すのは上越だ。
「ビョーキっちゃビョーキだよ、多分。お医者様でも草津の湯でも治せないけどね」
「大丈夫なのか」
「へいきへいき。東海道がちょっとくらいおかしくなっても、べつに仲間は仲間でしょ?」
「それは、もちろんだが」
「だよな。たった五人の仲間だもんな」
そこは嬉しそうに山陽がうなずく。年の功か、軽く見えて頼もしい。
「だから、大丈夫だよ。東海道も山形も、ぼくたちもね」
「? どうしてそこで山形が出てくるんだ。もうすぐ開業するからか?」
「ボクネンジン」
上越が口を尖らせるのに、山陽が度量の広さを発揮して教えてやった。
「お前さんはお前さんのままで、東海道も東海道のままでいいってことだよ、東北」
新幹線のおにいさんとして、愛をこめて。
でも基本的に雑食、無節操ですのでご注意ください。
鉄分のない駄文ですが、よろしければ覗いていってください。