笑顔たち 2
東海道新幹線は冬眠前の熊よろしく部屋の中をうろうろしていたが、ほかの新幹線たちはミーティングにも休憩にも使う大きめのテーブルについている。
東京の上官室に高速鉄道六人がそろっていた。
じきに今日から配属の北陸新幹線が来るはずだった。
まだ長野までしか開通しないから、しばらくは長野行き新幹線ともアナウンスされるという秋田新幹線のはじめての後輩は、東海道たちが手塩にかけて育ててきた生粋のフル規格新幹線で、まだ成長の途上にあるときいていた。
フル規格で、生粋で、有望でと、いい評判しか聞かない後輩。あの東海道新幹線が、そわそわして到着を待っているほどの逸材。今日は上越新幹線も、きちんと制服を着こなしている。
秋田は端の椅子に座っていた。自分も開業したばかりの新人なのに、ちゃんと先輩らしくできるかな、それ以前に、秋田新幹線の営業を軌道に乗せることができるかな、と少しの不安があった。
そんな秋田の肩が、ぽんぽんとたたかれた。振り向くと、ハンサムとしか言いようのない人が、茶色の髪を揺らして笑っていた。
「山陽さん」
いやみのない、特徴もない、バランスの取れた笑顔。高速鉄道の中で、この人がいちばん大人なんじゃないかという気がする、包容力のあるほほえみ。目じりが少し下がっていて、大丈夫だよといわれているように緊張がゆるむ。
「開業おめでとう、すこしは慣れた?」
「あ、はい、なんとか走っています」
すると、落ちつかずに歩きまわっていた東海道が口をはさんできた。
「敬語は要らんぞ、秋田。前にも言ったとおり、われわれは同じ高速鉄道だ。ましてこんな、ちゃらちゃらしたやつに使ってやることはない」
「とーかいどー、そりゃないよ。そりゃおれは、えらそうな誰かさんみたいに融通のきかないスクエアなタイプじゃないけどさ、やるときはやるのよ、かっこいいのよ」
「自分で言うところが信用ならん。秋田のように謙遜せんか」
山陽新幹線とやりあう東海道は強気な笑みだ。BTたる自信と覇気が明らかで、秋田はまっすぐに前を見ようという気持ちにさせられる。
「そうだよ、しっかり走ってるじゃない、こまちは。まあ、まだ慣れないのにイベントが多いし煩雑だろうけどさ、開業当初はいろいろあるもんだし。一日に、たった十往復でいっぱいいっぱいだった新人も、いまは大きい顔で走ってるんだし、こまちは上出来だよ。ねえ、東北」
「それは、おれの暫定開業時のことを言っているのか、上越」
「いやだなあ、開業のたいへんさはみんな通ってきた道でしょう。きみみたいな無骨なのと連結して、にこにこと文句も言わず、ほんっと、よくやってると思うよ」
「こまちはたしかにいい走りをする。動きがいいうえに余計な自己主張がなく、抵抗なくやまびこについてきてくれる。たいへん素直で働きもので、連結していて走りやすい」
「ちょっとそれ、ぼくの動きが悪いくせに余計な自己主張が多くて、素直じゃないって言いたいの? 言っとくけどね、ぼくの車両がお古ばっかなのは、ぼくのせいじゃないし、あの子たちは経年劣化にもかかわらず、すっごくがんばって走ってるよっ!」
「曲解するな。俺はただ、秋田の走りを評価しているだけだ」
「きみ、ほんっと嫌味がうまくなったよねっ。でもまあ、秋田の走りはいいと思うよ。ぼくが見てても楽しそうに、気持ちよさそうに走ってるもんね。きっと、乗ってる人も気分がいいと思うよ」
口々にほめられて、秋田は落ち着かなくなってきた。
舌戦は激しいが、コミュニケーションのひとつだ。上越新幹線の目は本気で怒ってはいない。むしろ秋田へ向ける目は優しい。皮肉な笑みの中に、やるせなさや愛しさや温かみや、多彩なものをにじませる人だと思う。
対して東北新幹線は、淡々と話しながら、目もとと口もとが笑っている。口数も、表情を動かすことも多くはないが、叱るときは叱り、笑うときは笑う人であるのだという気がする。それぞれの人柄にふれて、秋田の心がほぐれてくる。
「おれも、がんばってると思うべ、秋田」
さらに声をかけてきたのは山形新幹線だ。いつもの、能面のような顔で。
「いまは、ちっと大変だろうけんども、大丈夫だあ。先は長いんだず。無理せず、のんびり走ったらええよ」
能面は木彫りでありながら、舞台の上ではさまざまに表情を見せるという。この人もまさにそうだ。眼だけで笑える人であった。つくりが美しいだけに、鋭く伝わってくるものがある。ともすれば近寄りがたく、凄絶にもなる迫力を、言葉のあたたかみが和らげている。
ここに来て、さすがに秋田は気がついた。
同僚たちが、開業したての自分を気遣い、いたわり、引き立ててくれていることに。
急におなかがすいてきた。
さまざまな感情がわいてくる。
北陸新幹線に対して「先輩らしく」なんて恥ずかしい。
秋田新幹線を「軌道に乗せよう」なんておこがましい。
自分はただ、走っていればいいのだ。
気負わずに全力で走っていけばいいのだ。
いいところに来たなあ、運がいいなあ、新幹線になって本当によかったなあ、と。
深呼吸して、みなを見わたして秋田が応える。
「ありがとう。走るのは気持ちいい、新幹線は楽しいよ」
そして、BTに。
「敬語は要らないんだよね、東海道」
わかったよ。みんな同じ仲間だからね、と。
やがて、職員に連れられて北陸「長野行き」新幹線が来たとき、秋田は彼がまるきり子どもであることに驚いた。つぎに、土産の長野銘菓「雷鳥の里」と「落雁」と「くるみそば」を両手に抱えてきてくれたことに感激し、挨拶や言動の端々にうかがえる素直さと利発さに感心した。そして、秋田はこの小さなひとを大好きになった。
新しい仲間は、体じゅうで喜びを表現する、のびやかな新幹線だった。
春まだ浅い北国を、秋田新幹線は今日も走る。ご機嫌に、かろやかに、ひたむきに。
新幹線になってよかったと晴れやかに笑いながら。
でも基本的に雑食、無節操ですのでご注意ください。
鉄分のない駄文ですが、よろしければ覗いていってください。